「New year's concert」
今年も大好きな教会で演奏させて頂きました。
限定100人のお客様たち。
毎年この日を楽しみに待ってくださっているそうで、本当にありがたいことです。
曲目の説明をしたりしながら進んでいく小さなコンサートは、お客様たちのあたたかい雰囲気に満たされとても和やかです。皆さん私のお喋りに頷いたりにこにこしたり、演奏には涙を流し、それぞれに心から愉しんで聞いてくださっています。
石川県能登半島での地震のすぐ後でもあり、こうしている今も被災地で困難を抱えている人々がいらっしゃることを想うといたたまれない気持ちで胸がいっぱいで、少しでも早く一人でも多くの人が救われますようにと、
また、ウクライナやイスラエルで起こっている戦争や紛争にも触れ、人々がお互いを思いやることができたら世界から戦争なんてなくなるのにと、
思っていること考えていること、心の中にあることも話し、演奏しました。
photo by Yuka
2024年、この新しい年が、私たち、世界のすべての人々にとって明るい希望を持って進んでいくことができる年になりますように。
皆、思いは同じ。偉大な作曲家たちが作った名曲の数々を、時空を超えてお客様たちと体感し、共有し、一体になれた素晴らしい時間でした。
心からの感謝と共に。
ありがとうございました。
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2023年8月5日。
長年のお付き合いをさせて頂いている、ご夫妻で大活躍されている法律事務所が10周年を迎えられ、眼前に地中海のような美しい海が広がる素敵な会場で、祝賀記念パーティーが盛大に催されました。
私は、スペシャルゲスト!としてお招き頂き、お祝いの演奏をさせて頂いてまいりました。
私の大好きな弁護士夫妻。お二人がこれまでどれだけの熱い情熱を持って取り組んで来られたのか、どんなに真摯に仕事に向き合って来られたのか、どんなに周囲の人々を大切にして来られたのかなどが、この会にお招き頂いて、改めてよくわかりました。
お二人に愛と感謝と尊敬の気持ちをいっぱい持って、全国各地から集まってきたたくさんの魅力的な弁護士さんたち。
優秀なチームスタッフの方々の手で、丁寧に準備された、あたたかく、楽しく、立派な、本当に素晴らしい会でした。
素敵な会で演奏させて頂き、皆さんが喜んでくださって、とても幸せでした。心から、ありがとうございました。
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長かったコロナ休止期間。
これまで毎年演奏させて頂いてきた大好きな教会でのコンサート。3年間もお休みして、ようやく今年、皆様に聞いて頂くことができました。
高校生の頃からいつも気に掛け可愛がってくださっている牧師先生、河崎倫子先生との約束も3年越しで果たすことができました。
「第9回 田村真穂さんによるニューイヤーコンサート」なる看板も作って頂き、人数制限で開かれました。
私はいつものスタイルで、椅子に挿した「特製マイクスタンド」からマイクを抜いてはおしゃべりをして1曲弾いて、またおしゃべりをして1曲弾いてと進行し、お客様たちも久しぶりの生の音にとても喜んでくださっている様子。
客席から、時折湧き立つ笑い声、たくさんの笑顔、和気藹々とコンサートは進行し、プログラムも終わり。
アンコールの後、思いがけず私に向かってお客様たちから飛んできたのは、なんと、紙飛行機!
びっくりした!!
私に皆さんが飛ばしてくださったのは、愛のメッセージでした。
紙飛行機に書かれていたのは…
「コロナ禍の心のモヤモヤが一気に晴れました!」
「生の音だけが持つ色彩や、振動、空気感を感じました。」
「心が浄化されたようでした。」
「来られてよかった!」
「心から楽しめました。」
「コロナでしんどかった色々なことが、ピアノの音と一緒に空に飛んで行きました。」
「ありがとう!」
贈られたメッセージに涙が出ました。かけがえのない素晴らしい時間をいただきました。私こそ「本当にありがとうございました!」
最後になりましたが、河崎牧師先生、調律の竹内さん、教会員の皆さん、このコンサートを開催するにあたり心を込めてご準備くださいました全ての皆様に心から感謝申し上げます。
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連載は全4回でとお受けしたこのお約束、好評を頂き期間延長されることとなり今日まで約2年間、身の引き締まる思いで執筆させて頂いてまいりました。
「自らの体験談をお願いします」とのご依頼を受けて始まったこの連載。
私のこれまでの人生、思えばずっと前だけ見てすごい勢いで直走ってきたように思います。ところが、この度の連載は、全8回、毎号毎、自分の過去、後ろを振り返るという、これまでしてこなかった作業をすることでした。これは、私、田村真穂という人間を真剣に見直し、己と厳しく対峙することのできた大変重要な機会でした。
改めて気づくことの何と多かったことでしょう。
自分の甘さや未熟さへの反省、後悔、導かれた出会い、私を鍛え成長させてくれた仕事の数々。手を差し伸べてくれた人たちへの感謝、ずっと支えてくれている両親、家族への感謝、この先私はどうしていきたいのか、どうしていかねばならないか。深く深く考える時間を頂きました。
このような貴重な機会を頂けたこと、心から感謝しています。
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連載?「演奏家として」
ピアニスト 田村真穂
長く暮らしたドイツから東京に居を移し、世界最古のゲヴァントハウス管弦楽団メンバーとのツアー、リサイタルの開催、PMF(パシフィックMフェスティバル)ではウィーンフィルの奏者と連夜コンサート、演奏活動の間では来日オペラの字幕翻訳や裏方としての仕事など数々の素晴らしい機会に恵まれ、喜びに満ち充実して働いていたその年、東日本大震災が起こりました。被災地の苦しみと不安が全国に広がっていく中、私の胸には懐かしい飯野山や、畦道に咲く赤い彼岸花、蛙の大合唱、私を育んでくれた故郷の風景がいつも広がっていました。「勉学と国際親善に励み将来は地元に貢献する」これは海外派遣奨学金を頂いた時の約束です。癒し、喜び、祈り、太古の昔より人々は音楽に助けられてきた。人間の心に大きな影響を与える音楽。私にできることって何だろう。初めて自身で企画した復興支援コンサートを皮切りに中央と往復しながらの故郷での活動をスタートさせました。
息遣いが伝わる距離で時空を共有できる美術館や博物館、教会や学校等でのサロンコンサート、大学と共作したピアノ一本でのミュージカルで四国ツアー、未就学児から入場でき楽しめるよう企画した「こどものためのコンサート」(市主催)はシリーズで9回目を迎えますし、多くの皆さんからのご支援のおかげで活動が続けられています。
ピアノは、楽譜を読みながら左右10本の指で88の鍵盤を同時に幾つも選び、足でペダルを踏み演奏します。一度に莫大な情報処理が行われるため脳が鍛えられ、バランス感覚や記憶力、呼吸の制御能力、瞬発力や集中力、豊かな感受性も養われます。誰でも鍵盤を押せば美しい音が鳴り、何十人もで作り上げる大合唱や交響楽団のような壮大な音楽も1台で担えるところから「楽器の王様」と言われます。打楽器なので音は減衰していきますが、減っていく音の途中で自在に色彩を変化させたり、減っていくどころかエネルギーを込め大きくしていけるなど「歌わせる」こともできます。音楽は世界共通の言語。ピアノを弾けば、自分の感じていることを言葉や文章にするより素直に表現でき、地球の裏側に住んでいる人とも共通の感動を分かち合うことができる。何世紀も受け継がれてきた素晴らしい作品をこの豊かな楽器で演奏することは、まさに時空を超えるのです。
人との出会いに恵まれ助けて頂いてここまで来ることができました。高みを目指し必死に砥礪切磋してきましたが、日々努力することはそんなに大変ではありませんでした。目標が見つからず漂流していることのほうがずっと苦しい。眼前に目標を設定しそこへ向かっていく努力は楽しいです。
「面白いことやってるなぁ。真穂にしかできひんこと見つけてるなぁ。」先日オーケストラのツアー中、指揮者の佐渡裕氏が言ってくれました。私にできること。弘法大師が八十八箇所の寺院を巡る道を作った穏やかで明るい光が満ちる瀬戸内の国、私の故郷に音楽の持つ力、素晴らしさを精一杯伝えたい。感謝して、この清らかな空気の中に高く澄んで響く音を一生追い求めていきたいと思っています。今日から明日へ。
あなたはどんな音を作りたいですか?
連載終わり
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連載のお約束は全4回ということでしたが、好評を頂き期間延長されることとなり身の引き締まる思いで執筆させて頂いております。
ありがとうございます。
自身の体験談をということで依頼されていますこの連載、今回は、オペラ字幕編です。
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連載?
「演奏家として」
ピアニスト 田村真穂
明るいステージを遠くガラス越しに見る、ホールの薄暗く狭い音響室。コレペティトゥア以来久しぶりの裏方としての仕事は、来日オペラの字幕を出す大役。劇中、ドイツ語やイタリア語などの原語で歌われる歌詞を要約した翻訳文を、舞台両袖に客席に向かって建てられたLED電光表示板に投影していく仕事です。小さな譜面灯の下、楽譜と指揮モニターを交互に睨み、歌に合うようタイミングを計りながらオペレーターに指示を出していきます。
オペラ字幕の歴史は大変浅く、字幕は邪道という考えが主流でした。ミラノ・スカラ座の帝王「リッカルド・ムーティー」指揮、ヴェルディの「マクベス」を担当した時のことです。東京文化会館。激怒したムーティー氏が「字幕って何だ?我々の芸術的な舞台の邪魔になる。そんなもの要らない。」と怒鳴っています。現場は騒然。5万円もの「字幕付き」高額チケットは既に完売しています。ここで彼を納得させなければ大変な事に。舞台美術や照明への干渉を最小限に抑えるべく日本の高い技術をもって作られた機械に、文字制限内に分り易く訳されたコメントが歌とぴったりなタイミングで美しく投影されれば納得してくれる筈。本公演直前の公開ゲネプロが字幕の運命を懸けたオーディションとなりました。CDジャケットでしか見たことのない偉大な指揮者からいきなり嫌われ地獄のオーディション。生きた心地のしないまま幕は上がり、オーケストラピットからあの密度の濃い、重量感のある切れ味の鋭い指揮、超一流の演奏が始まりました。あまりの凄さに飲み込まれそうになりながらも、1コメントずつ神経を研ぎ澄まし指示を出す最中、確かに舞台と一体になった感覚がありました。
終演後、ムーティー氏は私達のところへやって来て「出していたのは君?」と固く私の手を握り「君たちの字幕は我々と共に呼吸をしていた。言語が解らない筈の客に適切な所で敏感な反応があった。とても音楽的な字幕だった。」と言ってくれたのです。
これを機にオペラ字幕は広く認められ世界に普及し、私は字幕指揮のパイオニアという位置でバレンボエム指揮「ベルリン国立歌劇場」小澤征爾指揮「ウィーン国立歌劇場」ズービン・メータ指揮「メトロポリタン歌劇場」など幾つもの来日オペラをドイツと日本を行き来しながら担当しました。
オペラ翻訳・字幕指揮の仕事には、度胸やセンス、作品への深い理解、そして何よりチームワークが求められます。世界最高峰の完成された舞台に字幕を出す重責、極度の緊張、常に非常事態のような本番をチームで行う中で、仕事を成功させたいあまりに仲間の失敗が許せなかったり、自分の失敗を仲間のせいにしたくなったりする卑劣で弱い自分に直面し、全ての責任は自分だけにあるピアノのソロの仕事では知り得ない多くの学びがありました。感謝し、助け合い刺激し合い高め合えれば、自分の持てる力など比較にならない大きな力になる。仲間達と共に乗り越え、手を取り合い成功の喜びに震えた幾つもの瞬間は宝物です。
ピアニストとしての演奏の仕事も日本で多くなってきました。私は軸足を東京に移すことにしました。帰国したらライプツィヒ・ゲヴァントハウス八重奏団とのツアーが待っています。
連載?へ続く
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連載のお約束は全4回ということで、前回で最後のはずでしたが、好評を頂きましたようで期間延長されることとなり、身の引き締まる思いで執筆させて頂いております。
ありがとうございます。
自身の経験談をということで依頼されていますこの連載、今回は、ドイツ編 vol.2です。
連載?
「演奏家として」〜ドイツ編 vol.2
ピアニスト 田村真穂
ニーダーザクセン州で最も古い伝統と格式あるオルデンブルク州立歌劇場でのコンサート当日、開演間際。舞台袖からふと覗きました。客席にはぎっしりのドイツの人々。人口16万の市民全員がやって来たかのよう。見れば見るほど耳が肥えていそうです。私の緊張はピーク。こんな恐ろしい思いはもう嫌、ピアニストなんかやめてしまいたい。容赦なく鳴る拍手。「トイトイトイ」(欧の魔除けの言葉)と声を掛け合いステージへ。1曲目はシューマンのピアノ五重奏。弾き始めると雑念が消えた。深い音色が豊かに響くヴァイオリン、正確で柔らかなヴィオラ、力強く優しいチェロが情熱的に語りかけてきます。卓越した表現力を持つ真の音楽家達との一体感。終演まで感覚は研ぎ澄まされ「無」になったような感じ。全ての演奏を終え、気が付くと割れるような拍手に包まれていました。
翌朝、呼び鈴が鳴り「真穂が激賞されている!見て」新聞を手に隣のユルゲン夫妻が。コンサートの様子が新聞各紙に取り上げられ「オルデンブルグ州立歌劇場が招いた日本人ピアニスト田村真穂は、神秘的な感性を持って彼らと調和し、客席を感動の渦に巻き込んだ」とあります。彼らはそれを自分のことのように大喜びし、私に3つの素敵な贈り物をくれました。
その?「ドイツ警察の白バイに乗る」〜ユルゲンは同僚の屈強な警察官たちに私を紹介。州警察署内を案内し大きな白バイに跨らせてくれました。彼らは、私の足が短すぎて地面に着かないと笑い「なぁに、後2〜3年したら伸びて届くようになるさ」私が成長する?小学生くらいの子供だと思われたことが判明。年齢を伝えたら一同驚愕。ショックなのは私。
その?「オランダにニシンのサンドイッチを食べに行く」〜ユルゲンの巨大なバイクの後ろに乗り、戦時下ヒトラーが滑走路にも使えるようにと頑丈に作った速度無制限のアウトバーンを約200km/hで激走。オランダ国境近くの運河のほとりでニシンのサンドイッチを食べました。ヨーロッパの保存食、発酵熟成されたニシンは見た感じ生臭そうなのに新鮮なお刺身のようで一切の臭みが無く、爽やかな柑橘系の香りを持つ「ヘーフェ・ヴァイツェン」という酵母入りの白濁したビールと相性抜群。
その?「馬に乗る」〜彼らの娘タチアナが馬術を学ぶ、森と畑に囲まれた広大な厩舎へ。馬術大国ドイツの子供は、幼い頃から雄大な自然の中で馬と触れ合い心身を鍛え学び成長します。私?竹馬なら得意だけど乗馬は初。ドイツの豊かな森を大きくて温かな優しい馬とゆっくり散歩。ああ父母や妹も一緒だったらなぁ。
不安な異国の地、プロレスラーのような警察官(本当は柔道家)一家に家族のようにだいじにして貰って、歌劇場での仕事など演奏の機会もたくさん得られ、充実した幸せな毎日を送っていたある日のこと、電話が鳴りました。日本からです。今度来日する「ベルリン国立歌劇場オペラ」の字幕翻訳をやってみないか?
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連載? 「演奏家として」〜 オペラ編 をお楽しみに。
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「第8回 こどものためのクラシックコンサート 〜たむらまほとゆかいななかまたち・バレンタインコンサート」が終わりました。
主催は、公益財団法人 丸亀市社会福祉事業団。
このコンサートシリーズは、おかげさまで回を追うごとにどんどんお客さんが増えていつも満席です。
今回はコロナ禍、席数をたったの150席に減数して開催するとこのことで、とても早い段階でチケットが完売してしまい、たくさんの方をお断りせざるを得なかったと聞きました。当日も、知らずに会場まで来られて入れなかった方が大勢いらしたとのことで、有難い気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
この日は2月14日。バレンタインコンサート❤️
「ゆかいななかま」は、トランペットの仙波克久さん、ヴァイオリンの三武睦弥さん、マリンバ・パーカッションの合田佳織さん。
私の暮らしていたドイツの人々のように、近所のお友達を誘って町の劇場へ気軽にちょっと出掛ける。「今年もあのコンサートに行こう」と気楽に行けるそんなコンサートが作れたらいいなぁと、第1回目から大切に大切に作らせて頂いてまいりました。
小さな子供も大人も楽しめて、親しみやすいけど演奏のクオリティーはものすごく高い!というコンサートになって皆さんに喜んで頂けたらいいなぁ。
今回は、感染予防の為、例年のように質問コーナーを設けたり、途中お客様にステージに上がって頂くことができないなどの制限がある中で、皆で相談し、楽器の紹介をしたり、できる範囲の中で最大限楽しんで頂けるような演出を知恵を絞って考えました。
トークと演奏を交互に「手作り感あるけど、素人感が無い。」「ステージとお客さんが近いけど、グダグダ感がない。」というところで、今回も「ゆかいなコンサート」ができたんじゃないかなと思っています。
終演後、寄せられたアンケートに「コロナ禍で久しぶりの生の演奏に癒されました」や、「こういうコンサートは貴重です」「毎回楽しみにしています」「次の開催が待たれます」などなど、たくさんの声をお寄せ頂きました。
皆様、本当に本当にありがとうございました。
次回をお楽しみに!
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連載のお約束は全4回ということで、前回で最後のはずでしたが、好評をいただきましたようで期間延長されることとなり、身の引き締まる思いで執筆させて頂いております。
ありがとうございます。
自身の経験談をということで依頼されていますこの連載、今回は、ドイツ編 vol.1です。
連載?「演奏家として」〜ドイツ編 vol.1
ピアニスト 田村真穂
ブレーメンから西に45キロ、オランダの国境近くにある町、北ドイツ、ニーダーザクセン州オルデンブルグ。バロック様式のお城、時が止まったような中世の街並みと深い森、運河が流れる自然豊かなこの町で私は暮らすことになりました。カルガモや白鳥の泳ぐ美しい池に面し、背の高いドイツトウヒの木立に囲まれた家の2階、ここは92歳の上品なお婆さんの家です。彼女は、使い込まれた重厚なマホガニーのテーブルや銀の燭台、壁に青い絵皿が掛けられた落ち着いた部屋で、感じのいい安楽椅子に座り「これらの家具や食器は母や祖母が使っていたもので、私は貰ったのではなく、預かっているのよ。」と話してくれました。ドイツの人々は、全ての物に神が宿るという「九十九神」を心に持つ日本人と似て、長い時間を掛けて受け継がれた良い物を大切にし、先人達から伝統と文化、心も受け継いで、古より人々に愛され残ってきた美しいクラシック音楽を側に心豊かに暮らしています。
隣に住むバルトロクさん一家、お父さんのユルゲンはドイツ警察に勤務する屈強なゲルマン人。彼らは郷土料理にビール、サッカー観戦、毎週末のホームパーティ、移動遊園地、礼拝、いつも私を誘ってくれ、日々の暮らしや習慣を教えてくれました。どう見てもプロレスラーにしか見えないユルゲンが、ムソルグスキーの「展覧会の絵」を弾き始めた時は腰を抜かすほど驚きましたし、なぜトーマスの鼻唄がモーツァルトの「魔笛」で、しかもなぜあんなに正確なのか問いましたら、ドイツの子供は幼稚園か小学校の学芸会で必ず何かのオペラを体験するとのこと。ドイツで育まれたクラシック音楽の土壌に感服せずにはいられませんでした。
森の国ドイツの人々は無類の散歩好き。私も練習の途中、池の向こうの森へ行き、鳥の囀りや木々のざわめき、木漏れ日や梢の雪に五感が研ぎ澄まされることを体感し、ベートーヴェンが毎日何時間も森を歩いていた理由を氷解する思いで、練習中のソナタや交響曲を胸に歌い、どうしようもなく涙が溢れたり背中に羽が生えたような気持ちになったりしながら毎日歩いていました。そんなある日、私の心の中でベートーヴェンが指揮棒を振り下ろした瞬間ゴォーと風が吹き、森がすごい音で鳴りました。これだ!と駆けて戻りピアノに向かい、偉大な人がすぐ近くにいることをありありと感じながら一心に弾きました。森は作曲家と自分の中継点。私は森を介して作曲家と対話し、森と共鳴し、いつも森から力を貰って勉強していました。
町の人々に愛され大切にされているオルデンブルグ州立歌劇場は、ニーダーザクセン州で最も古い伝統と格式のある劇場ですが、私はこのオルデンブルグ州立管弦楽団のメンバーと共演できることになりました。3月のコンサートプログラムは、シューマンとフランクのピアノ五重奏です。これまでにゲヴァントハウス八重奏団やベルリン室内合奏団、ウィハン弦楽四重奏団など様々な来日アーティストと日本で共演しましたが、通常、本番の3日ほど前から合計3〜4回の練習で当日を迎えます。ところが「そろそろ合わせようよ」と言われたのが10月。えっまだ半年も前。まだちゃんと弾けていないし困ったなぁ。おずおずと稽古場へ行くと「Moin!(ハロー)」皆にこにこしています。なかなか音楽が始まりません。誰も楽器を手に取らず、この曲についてどう思うかを話しています。その日は冒頭のところだけ楽しく音を出しておしまい。そうです。出来上がったものを持ち寄るのでなく、時間を掛けて皆でゆっくり一緒に作っていくのです。その曲を慈しみ、その曲を作った偉大な作曲家に敬意を払い、感謝して、丁寧に作っていく、その作業は尊く愉しいものでした。いい本番にならないわけがない?「このテンポがいいね。なぜならこうだから。」「そうだね。それともここは」「いいね。素晴らしい!」練習を重ね半年が経ち、いよいよコンサート当日、ついにその日はやって来ました。
連載?
ドイツ編 vol.2へ続く
…後日談として…
この原稿を、北ドイツオルデンブルク市に住むユルゲン・バルトロク氏に送りましたら、ドイツのことをとてもポジティブに捉え書いてくれていることがとても嬉しいと、すぐにお返事をくれました。
但し、私はプロレスラーではなく強い柔道家だからそこのところだけ直しておいて欲しい(笑)とのことで、そういえば思い出しました。
ユルゲンからの伝言に従い、付け加えさせて頂きます。
「彼は、黒帯の柔道家です!」
本当です。
ドイツ編 vol.2をお楽しみに!
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院内コンサートをさせて頂きましたご縁から、医療従事者の皆さんや、患者様などに広く読まれている広報誌「いぶき」連載の原稿依頼を賜り、NHKニュースウオッチ9のキャスターを務められた河野憲治さんから引き継ぎ、今期、第4回目が発刊されています。
連載のお約束は4回ということで、今回で最後のはずでしたが、好評をいただきましたようで、期間延長されることとなりました。
ありがとうございます。
連載?「演奏家として」 ピアニスト 田村真穂
語学研修の為に訪れた「トゥール」。フランスの庭とよばれるロワール川沿いの古城や美しい景色が堪能できるこの町で私は毎日ピアノが練習できるという条件を受け入れてくれた家庭にホームスティすることになりました。そこには愛情豊かなマダムとその家族、リセに通う高校生のヴァンソンとリーズの他に、イラクから語学留学中のアハメッドとアバスが居ました。このイラク人の彼らは、TGV(高速鉄道)で約1時間かかるパリとトゥールを毎週末、何とタクシーで往復していて、大金持ちの石油王?毎朝アラーの神に熱心にお祈りをし、弱冠20歳で立派な髭を蓄え、私のピアノを聞いては偉そうに、なぜか的確な批評をしてくれました。
語学学校で一緒だったのは、リヨンでボリス・ヴィアンの研究をしている阪大の院生や、パリでマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」について研究をしている東大生ら同じロータリー財団からの奨学生たち。語学力は天地の差でも、一生の研究テーマに信念を持ち高みを目指すその気持ちだけは同じ。私たちはすっかり意気投合し、カフェで熱く語り合い、週末には車で古城巡りもしました。友にも恵まれ、お料理の上手なマリィの優しい家から学校に通ったひと月の充実した語学研修は終わりました。
パリに戻ってまたピアノ三昧。音楽院では、リスト作品の名演奏家であることからマダムリストと呼ばれるF・クリダ氏に師事し、1800年代にタイムスリップしたような、パリらしい豪奢な装飾が施された白亜のオスマニアン建築の貴族の館、彼女の私邸にもレッスンに通いました。〈ピアノは漁師にとっての船であり、騎士にとっての馬である。〜リスト〉「演奏家として私たちは何ができる?夢みる愛情や色彩に溢れたこのピアノという楽器を前に」貴重なレッスンの中で、正統的なフレンチピアニズムの守護者である彼女からとても多くのことを教わりました。
よんでん文化振興財団の海外奨学生として、またロータリー財団の国際親善大使としての責任を担い目標を持って勉強しに来ているのだから、淋しいなどと言っていてはいけないと思うものの、海外での独り暮らしがこんなにも孤独とは知りませんでした。我慢していたのに堪えきれず母に電話をして、声を聞いたらピンと張っていた糸が切れて号泣してしまったこともありました。そんな辛い日々、いつも思い返したのは「自灯明」という言葉でした。暗く足元が見えない時は、自らが明るい灯火となり道を照らし歩いていく。この宇宙、山川草木みな太陽の恩恵を受けて私たちは繋がっている。私は孤独ではない。両親や妹がいて多くの人に助けられ皆と繋がっている。日々感謝して精一杯勉強させて頂こう。
南フランスで開催されたピアノのマスタークラスにも参加したり、大失敗したり賞を貰ったり、泣いたり笑ったり、あっという間の2年間。学べば学ぶほど、あともう少しこのヨーロッパで勉強したいと思う気持ちが強くなりました。もっともっと勉強したい。日頃の必死の倹約のかいあって資金もまだ少しある。私は決めました。ドイツへ行くことにしました。リストやショパンの過ごした花の都、教会の鐘の音と共に毎日練習したパリのアパルトマンに別れを告げ、ベートーヴェン、バッハ、ブラームスの国、音楽大国ドイツへと、さあ、出発です。
連載? 「ドイツ編」へ続く
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連載?「演奏家として」 ピアニスト 田村真穂
初めての渡航、経由地タイの空港でパリ行きの乗り継ぎチケットを紛失したことに気づいた私。事情を説明し、ここまで乗って来た飛行機に戻って探したいと必死に訴えていたら一人の黒人CAが時計を見るなり「急ぐわよ」と走り出しました。長い足の彼女を追いかけ広い空港を激走し、格納庫へと移動する寸前の機体に汗だくになって到着。間一髪で、座席の間に挟まっていた私の命綱、激安チケットを発見することができたのです。「よかった」と手を取り共に喜んでくれる彼女にお礼を言ったら、涙が溢れました。
やっとの思いで辿り着いたパリ市内。疲労と空腹を抱え、目に付いたビストロへ。メニューの「Saute de foie de veau」これが一番安いけどfoieって何だったったかな。思い出せないままに注文し、ともかく少しほっとし窓外を見ました。と、どうでしょう。みるみる空が暗くなり夜になりました。パリの日没が昼2時とは知りませんでした。急に薄暗くなった店内、運ばれてきたお皿にはラグビーボール型のお肉。思い出しました。foieは肝臓。私は「子牛のレバーソテー」なるものを注文したようでした。元々あまり得意ではないレバー。がっかりして一口。ところが、予想と異なる素晴らしい味わい、経験したことのない深い旨味。夢中で食べていたら外が明るくなり再び昼に。いったいどういうことなのでしょう。外に出たら大勢の人が空を見上げています。やっとわかりました。その日は十何年かに一度の「皆既日食」だったのでした。「日食」の単語もわからないし、ああ、私は大丈夫だろうかと思いながら留学生活はスタートしたのでした。
エッフェル塔からすぐのアパルトマンは、質素なベッドとグランドピアノだけが置かれた7階の部屋で、朝10時より音出し可。近くの教会の10時の鐘を待ち兼ねて練習を始め、12時の鐘で一旦休憩。その日も、鐘の音を時計代わりに、集中して練習していました。それは、ショパン作曲ピアノ協奏曲第一番の曲中、鐘の音を表すモチーフの部分を弾いていた時のことでした。窓外の実際の鐘の音が重なったのです。シンクロニシティ、身体に強い電気が走ったような激しい衝撃を受け、その瞬間、わかった!と思いました。この乾燥した空気、風の匂い、町中に聞こえる鐘の音、太陽の光、祈り、セーヌの霧…この場所でショパンは生きて作曲をしたんだ、それならこうだ、ここはこう、音はこうで、と夢中で弾いて、気がついたら夜遅くなっていました。その日を境に自分の音がどんどん変わってくるのを実感するようになりました。
精一杯吸収したい。可能な限り美術館を巡り、オペラ座の安い席で観劇し、ピアノの学校以外にソルボンヌ大学にも聴講生として通いました。その夏は、国際親善大使としてロータリー財団から要請された語学研修に参加することになりました。開催地は、モンパルナスからTGVで約1時間の仏中部ロワールの町「トゥール」。駅にはこれからひと月お世話になるホームスティ先のマダムが迎えに来てくれているはずです。 (連載?へ続く)
PDFで読まれる場合はこちら↓
https://www.kagawah.johas.go.jp/wp/wp-content/uploads/2020/05/ibuki-76.pdf
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「演奏家として」連載?
25年前、たまたま訪れていた兵庫県西宮市で阪神淡路大震災に遭遇し、私は左右から倒れてきたタンスの間に寝ていて九死に一生を得ました。当たり前と思われる日常は一瞬のうちになくなることを目の当たりにし、私は何のために生かされているのだろう、私のできることはなんだろうと考えました。一度失った命と思えば何だってできるはず、毎日を精一杯に生きていこう。その時、覚悟ができたように思います。
ピアノを本気で勉強したいと思っている私を応援してくれた人がいました。「オペラの仕事してみるか?」指揮者の佐渡裕さんが声を掛けてくれたのです。私はコレペティトゥア(オペラの稽古ピアニスト)として明日から働くことになりました。右も左も分からない舞台の世界。稽古場に一番早く来るのは演出助手や大道具さんたち。私は彼らよりも早く行くことにしました。掃除をし、稽古までの準備を手伝い、しなくていいことをして怒鳴られたりしながら、稽古はまさに乾坤一擲、心臓がひっくり返りそうになりながら第一線の歌い手に合わせてピアノを弾く、そんな毎日から、華やかな舞台を作る裏方には想像以上の厳しさと大きな喜びがあることを教わりました。
総合芸術といわれるオペラの世界で、小澤征爾さんや、バレンボイム、ジェシー•ノーマン、パバロッティ、M•ベジャールら一流の音楽家や舞踊家、演出家、制作、美術、衣装、照明、字幕、舞台監督に出会え、共に舞台を作る仕事をさせて頂けたことは私にとって余りあるほどの得難い経験です。
ボローニャ歌劇場日本公演のツアー中、ホールのピアノ格納庫を無理を言って特別に開けてもらい、必死にソロの練習をしていた時のことでした。そうっと後ろのドアが開いて「ハロー」と小さな声。振り返るとそこにいたのは、ホセ•カレーラス氏でした。「邪魔して悪いけど稽古したいから伴奏してくれる?」というのです。その狭いピアノ庫で「フェドーラ」の第二幕のソプラノとの掛け合いのシーンを合わせた時、あまりの声の大きさと美しさと響きに圧倒され、弾き続けるのがとても難しかったことを憶えています。あの響きをピアノで作れたらなぁ。これは、今も私の研究課題となっています。
一流の人たちの側で学ぶうち気づきました。彼らは共通して、普通考えられないほどのたくさんの情熱、たくさんの勇気、たくさんの愛情、たくさんの忍耐力を持ち、自らの仕事をとても楽しんでいて、キラキラと輝いていながら謙虚で、己の芸術を深めることに人生を懸けている。あぁ、とてもかなわない、少しでも近づきたい、もっともっと勉強したい。
願いは通じ、晴れて国際親善大使として奨学金を頂きパリで勉強できることになりました。不安と期待に胸が高鳴ります。さあ、いよいよ出発!私は、奨学金を倹約するべく、財団から頂いた直行便の素晴らしい航空券を、乗継便で倍以上の時間を要する激安チケットに変更。何といっても初めての海外への旅です。結果は案の定。事件は起こりました。そこは乗り換えの地、バンコクの空港。「えっ!ない!チケットがない。」…茫然自失。命綱の激安チケットを紛失するという痛恨のミスを犯し、出発したばかりなのにもう終わった気分。こうなったらパリまで泳いで行くしかない?(連載?へ続く)
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「HPACスミレの花咲く頃プロジェクト」に、私も参加しました!
今、演奏家は仕事がありません。
私の予定していたコンサートも夏まで中止になり、がっかりしていたところでした。そんな時、佐渡裕氏から連絡を頂きました。
幼い頃、母がよく歌ってくれたこの曲「すみれの花咲く頃」。
♬ 春すみれ咲き 春を告げる 春 何ゆえ人は 汝(なれ)を待つ 楽しく悩ましき 春の夢 甘き恋 人の心酔わす そは汝 すみれ咲く春 すみれの花 咲く頃・・・
この甘く美しい曲にのせて、歌ったり、身体を揺らして踊ったり、楽器を演奏したり。一流の演奏家も、宝塚歌劇団のスターも、小さな子供もおじいちゃんもおばあちゃんも参加しています。
「世界中の音楽家が皆さんに演奏を届けたいと思っている。こんな時だからこそ、みんなに笑顔を!」という想いで佐渡裕氏の立ち上げた「HPACスミレの花咲く頃プロジェクト」に、たくさんの人々が共感し賛同しています。
私のお庭にも、去年、好きで植えた紫のスミレが、ここにもあそこにも小さく可憐に咲いています。
「紫水晶って、おとなしいすみれたちの魂(souls of good violets)だと思わない?」〜赤毛のアン
「アンがスミレの群生に感動して名付けた「スミレの谷」は、あたり一面、花という花でうまり紫色に染まった。学校の行き帰り、アンはまるで聖地の土を踏むようにうやうやしい足どりと、あがめんばかりの眼差しで通り過ぎるのだった。」
スミレは、おとなしくて小さくて可憐ながら、強い。
群生して咲くスミレのように皆で助け合って、美しい紫に染まった谷のような穏やかで平和な日常を一日も早く取り戻そう。
一日も早い終息を心から願います。
こんな時だからこそ、皆に笑顔を!
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昨年暮れにコンサートをさせて頂きましたご縁から、医療従事者の皆さんや、患者様などに広く読まれている広報誌「いぶき」に、4回に渡る連載の原稿の依頼を賜りました。NHKニュースウオッチ9のキャスターを務められた河野憲治さんから引き継ぎ、今期、第1回目が発刊されました。
PDFで読まれる場合はこちら↓
https://www.kagawah.johas.go.jp/wp/wp-content/uploads/2017/07/ibuki-75.pdf
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「演奏家として」
今日をはじめに4回にわたる連載の執筆依頼を賜りました。とても光栄なことながら、私はただの音楽家。立派な理論など持ち合わせている筈もなく、大変恐縮しておりますが、心に浮かぶままに誠実に自分の言葉で書かせていただけたらと思っています。
演奏家の仕事は、時空を超えて今に残ってきた偉大な作曲家たちの曲を演奏して現代に生きる人々に伝えることにあります。名曲は、永遠の美、変わらぬ美しさを持っています。私は、その偉大な作品を演奏するピアニストという仕事の尊さと重責を自覚しています。
宇宙の摂理を神と呼ぶなら、芸術は、神と人との合作です。演奏するにあたり、己が神の創造による人間であること、自分も自然の一部であるということを思い出すよう心がけています。ともすれば傲慢になりがちな自己と決別し、敬意をもってその作曲者と対話し、謙虚な気持ちでその曲に取り組まねばなりません。
そして、なかば神がかり的行為をもって、指が鍵盤の上を走るうち、自分が取り組んでいるこの作品も、万物の創造者たる神の作品であるということが、はっきりとわかる瞬間が訪れます。
これは、例えば夏の夕焼けの空や、白雪にきらめく冬の山、素晴らしい絵や文学作品、…。思わず手を合わせたくなるような、思わずため息を漏らすほどの瞬間と出会った時に似ています。幾度となく繰り返す経験は、ふつう慣れていってしまうものですが、この感動は別です。芭蕉の言う「不易」、世阿弥の言う「花」のように、その都度同じものでありながら、驚くべき新しさをもって私の中で育っていきます。
私たち演奏家が「創造する」ということは、何もないところから何かを作り出すということではなく、自己の中にあるものを大きく完成させていくことだといえます。景色や印象は瞬く間に消えてしまいますが、ふとした時に、何年も前のその時その所に還り、鮮やかに蘇り、また消えて、その体験は数を増すごとに大きく美しく育っていく…、これと同じなのです。
それにしても、「創造する」ということは大変なことです。私で言えば、例えば人の前で演奏するために1曲を仕上げるのには、
それは大変な時間と労力を要しますが、情熱にまかせてがむしゃらに練習を重ねればいいということではありません。
抵抗が多ければ多いほど美しいものができる。「艱難汝を玉にす」。大理石の彫刻が美しいのは、錬成した技術と気の遠くなるような努力によって、硬い石の束縛が解放され、石の中にすでにある美しい造形が掘り出されるからです。
私たち演奏家も同じ。
世阿弥の言った「花」のような美しい演奏がしたい。「秘すれば花」。いつか自分の花を咲かせられたらいいな、そう思って今日もピアノに向かっています。
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「第7回 こどものためのクラシックコンサート」が終わりました。
このコンサートシリーズも、はや7回目。回を重ねる毎にどんどんお客さんが増え、この度も大盛況で、会場は満席。楽しみにして頂き、こうして足をお運び頂けること、感謝の気持ちでいっぱいです。
主催は、公益財団法人丸亀市福祉事業団。丸亀市全域の保育園、幼稚園、小学校に配布され、町中にポスターが貼られます。
さあ!今度はどんなコンサートにしよう?
主催や共演者と長い時間をかけて相談しプランを決めます。
このシリーズのコンセプトは「未就学児も入れる本物のクラシックコンサート」。プランの核は「私、子供の時こんなコンサートに行きたかった!」です。稽古していく中で、またいろいろなアイデアがどんどん浮かび、次第にコンサートが完成していきます。
小さなこどもたちがいっぱいの、熱気に包まれた会場。
あんまり小さいので、ちょっと見たかんじでは空席に見えるお席、そこには小さな小さなこどもたちがにこにこして、足をぶらぶらしたりして座っています。
コンサートが始まると、音楽に合わせて身体を揺らしたりメロディーを口ずさんだり、とても楽しそうです。
静かな曲では、皆、一生懸命に耳を澄まして聞いてくれています。
星、雪、もみの木、Xmasを演出する美しい照明が、曲に合わせて映し出され、皆、うっとりしています。
進行は可愛いトナカイが!
「楽器を体験してみようコーナー!」「質問コーナー!」では、会場はあたたかい笑いに包まれ、とてもいい雰囲気。
皆さんのおかげでとても楽しいXmasコンサートになりました。
この度もこのコンサートに関わってくださったすべての方に、心から感謝しています。
ありがとうございました。
メリークリスマス☆
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いつも、私のコンサートは、曲間で次の曲について簡単に解説をし、少しおしゃべりもしながら進んで行くというスタイルなのですが、身体を病み治療中の皆さんの前では、進行しながら「疲れませんか?」と言うのがやっと、点滴の管や、車椅子に身体を横たえたご様子に、どんなにしんどいだろうと思うとたまらく、胸が詰まってなかなか言葉が出て来ず、私は精一杯の演奏をするだけでした。一心に弾きました。
プログラムが進行してくうち、ふと気がつきました。優しい空気。あたたかく大きな大きなエネルギーが会場から伝わってきます。
…私の演奏で元気になってもらいたいなんて、おこがましかった。
元気をもらったのは、私だったのです。
このコンサートを通して、また多くの学びを頂きました。聞きにいらしてくださった患者様やご家族の皆様、プログラムの最後に登場された可愛いかめっこ園児の皆さん、保育園の先生方、あたたかいコンサートを作ってくださいました医療スタッフの皆様に、心から感謝しています。
ありがとうございました。
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